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Gio Ponti

Gio Ponti

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「[略] 私たちの生活の中で、オブジェクトの大部分は、産業によって生み出され、そしてまた、そこで特性も得ています [略]」

Gio Ponti

ジョヴァンニ・“ジオ”・ポンティ(1891年11月18日ミラノ生まれ、1979年9月16日死去)はイタリアの名建築家の一人である。デザイナー、エッセイストとして20世紀で最も重要な人物の一人でもある。個性的な名建築の他に、彼は様々な家具も創作した。代表作は、「ポンティ」スタイルの家具で整えられたミラノの住宅プロジェクト3件である。1925年にランダッチョ通りに建てられた住宅群、1926年にブリン通りに建てられたカサ・ラポルテ、1957年にデッザ通りに建てられた住宅がそれ。ジオ・ポンティはイタリアの工業デザインを振興し、「洗練され」、経済的、「民主的」でモダンな家具のコンセプトを生み出した。Molteni&Cは、これらの個人住宅と限定版としてジオ・ポンティがデザインした家具を復刻再製するプロジェクトを立ち上げた。原型の研究、選択、検討を重ねた後、コレクションはサローネ国際家具見本市2012で展示された。これはポンティ家とデザイン事務所チエッリ・アンド・アソシアティの協力と独占契約の賜物である。

ジオ・ポンティは、前線で戦い、軍人勲章を受けた後、第一次大戦終了時にミラノ工科大学建築学科を卒業。1921年にジュリア・ヴィメルカーティと結婚し、4人の子供(リサ、ジョヴァンナ、レティシア、ジュリオ)をもうけた。1927年に建築家エミリオ・ランチアと共にミラノにスタジオを開設。1920年代初めから1938年までRichard-Ginori製作所と協力し、その生産を刷新した。1928年にはジャンニ・マッツォッキと共に雑誌Domusを創刊。1933年にはFontana Arteのアートディレクターに就任し、Richard-Ginoriに続いてまたしても成功を収めた。1930年代にはトリエンナーレ展に参加し、その後、何回かトリエンナーレ展を運営し成功させた。1936年から1961年までミラノ工科大学で教授を務め、1933年にはアントニオ・フォルナローリ、エウジェニオ・ソンチーニと親しくなり、その親交は1945年まで続いた。この親交からいくつか大規模プロジェクトが生まれた。例えば、1936年から1938年までのミラノ・モンテカティーニ宮殿プロジェクトでは、ポンティはこの建物とインテリアの「総合デザイン」を担当。この期間には、1933年のミラノのリットリア塔、1934年のローマ市立大学数学科校舎、1937年のパドヴァ大学人文学科校舎と牧師館等、公共建築プロジェクトも手掛けた。さらに、1934年のカーサ・マルモントや1931年から1936年までのミラノ「ドムス」等、住宅プロジェクトも手掛けた。

Gio Ponti
for Molteni&C

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